2023年10月2日月曜日

大器キャリアキャスティングほか1社事件:大阪高判R4.10.14・労判1283-44

副業による健康悪化について安全配慮義務違反を認めた

従業員が望んだ勤務増であっても責任は軽減されない(過失相殺4割)

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ウ 控訴人主張に係る被控訴人Y1社の注意義務ないし労働契約上の安全配慮義務違反の有無

 (ア) 控訴人は、被控訴人Y1社及びa社との各労働契約に基づく控訴人の労働日数及び労働時間数、あるいは、被控訴人Y1社との労働契約に基づく控訴人の労働日数及び労働時間数を前提として、被控訴人Y1社は、控訴人の心身に異常を来すことがないよう控訴人の業務負担軽減のため、被控訴人Y1社での労働時間を軽減し、又は、労働を制止すべき注意義務ないし労働契約上の安全配慮義務を負っており、これに違反したなどと主張する。

 この点、前記アで指摘したとおり、控訴人についての労働日数及び労働時間数をみれば、法の趣旨に反した連続かつ長時間勤務がなされていたことは明らかというべきである。

 そして、前記1(2)ク、(3)キに認定したとおり、被控訴人Y1社において、その勤務シフトは、同一店舗に勤務する従業員間でシフト表の案を作成し、Cが各店舗を巡回した際にそのシフト表の案を確認し、承認をするという仕組みの下、その内容が確定されていたこと(前記1(3)キ)、Cが勤務シフト調整のための面談に立ち会うなどしていたこと(前記1(2)ク)に照らせば、Cは、被控訴人Y1社との労働契約に基づく控訴人の労働日数及び労働時間数を認識し、あるいは認識し得る立場にあったと解される

 また、前提事実(2)ア、ウ、前記1(3)オ、カで認定したとおり、a社は、d店において24時間営業を行うにつき、夜間運営業務をb社に委託し、それが被控訴人Y1社に再委託されているという契約関係の下、控訴人が同一の店舗(d店)で給油所作業員として就労していたことに照らせば、被控訴人Y1社は、a社に問合せをするなどして、a社との労働契約に基づく控訴人の労働日数及び労働時間について把握できる状況にあったのであるから、控訴人のa社における兼業は、従業員が勤務時間外の私的な時間を利用して雇用主と無関係の別企業で就労した場合(雇用主が兼業の状況を把握することは必ずしも容易ではない場合)とは異なるということができる。

 (イ) 被控訴人Y1社は、控訴人との間の労働契約上の信義則に基づき、使用者として、労働者が心身の健康を害さないよう配慮する義務を負い、労働時間、休日等について適正な労働条件を確保するなどの措置を取るべき義務(安全配慮義務)を負うと解されるところ、上記のような事実関係によれば、控訴人は被控訴人ら両名との間の労働契約に基づいて、157日という長期間にわたって休日がない状態で、しかも深夜早朝の時間帯に単独での勤務をするという心理的負荷のある勤務を含む長時間勤務(欠勤前の各期間における労働時間は、上記4(2)のとおり)が継続しており、被控訴人Y1社は、自身との労働契約に基づく控訴人の労働時間は把握しており、業務を委託していた被控訴人Y2社との労働契約に基づく就労状況も比較的容易に把握することができたのであるから、控訴人の業務を軽減する措置を取るべき義務を負っていたというべきである。

 しかるに、被控訴人Y1社は、平成26年3月末頃には控訴人がa社との兼業をしている事実を把握したにもかかわらず、兼業の解消を求めることはあったものの、控訴人のa社における就労状況を具体的に把握することなく、同年7月2日に至るまで上記のような長時間の連続勤務をする状態を解消しなかったのであるから、控訴人に対する安全配慮義務違反があったと認められる。

 (ウ) なお、既に認定説示したとおり、被控訴人Y1社及びa社との労働契約に基づく控訴人の連続かつ長時間労働の発生は、控訴人の積極的な選択の結果生じたものであることは否定できず、控訴人は、連続かつ長時間労働の発生という労働基準法32条及び35条の趣旨を自ら積極的に損なう行動を取っていたものといえる。

 しかしながら、使用者である被控訴人Y1社には、労働契約上の一般的な指揮命令権があるのであり、控訴人が法の趣旨に反した長時間かつ連続の就労をしていることを認識した場合には、直ちにそのような状態を除去すべく、Cが控訴人の希望する被控訴人Y1社における勤務シフトを承認しない等の措置をとることもできたのであるから、上記のような控訴人による積極的な行動があったことは、安全配慮義務違反の有無の判断を直接左右するとはいえず、過失相殺の有無・程度において考慮されるにとどまるというべきである。

 (エ) また、被控訴人Y1社としては、控訴人とa社の労働契約関係に直接介入してその労働日数を減少させることができる地位にはないものの、a社としても、兼業によって違法な長時間連続勤務の状態を継続してまで控訴人を自社の従業員として就労させることに固執するとは考えられず、控訴人に対して軽減措置を取るべき義務が否定されるものではない

 争点7(過失相殺の成否)について

  (1) 控訴人は、被控訴人Y1社と労働契約を締結していたにもかかわらず、a社とも労働契約を締結し、被控訴人Y1社との労働契約上の休日(日曜日)にa社での勤務日を設定して連続勤務状態を生じさせ、Cから勤務の多さについて労働基準法に抵触するほか、自身の体調を考慮して休んでほしい旨注意され、5月中旬までにはa社の下での就労を確実に辞める旨約束した後も、別途金曜日にa社との労働契約に基づく勤務を入れたり、平成26年4月28日にg店における就労について話し合った際もGの意向に反して自ら就労する意向を通していた(かかる控訴人の行動・態度に照らせば、たとえ被控訴人Y1社が更に別の曜日を休日にするなどの勤務シフトを確定させたとしても、控訴人が独自に交渉するなどして、その休日にa社の下で就労し、または更に異なる事業所で勤務しようした可能性がある。)。

  (2) 他方、被控訴人Y1社としては、いかに上述した契約関係に基づいて24時間営業体制が構築されているとはいえ、控訴人とa社の労働契約関係に直接介入してその労働日数を減少させることができる地位にあるものでもない(それゆえに、Cは、控訴人に注意指導してa社との労働契約を終了するよう約束を取り付けている。)。

  (3) 被控訴人Y1社は基本的に日曜日を休日として設定していること、Cは控訴人に対し、労働法上の問題のあることを指摘し、また、控訴人自身の体調を考慮して休んでほしい旨注意をした上、控訴人に平成26年5月中旬までにはa社の下での就労を確実に辞める旨の約束を取り付けているにもかかわらず、控訴人が自身の判断において積極的に被控訴人らでの兼業を継続していたこと、適応障害発症の契機となった同年6月26日の事情聴取が必ずしも控訴人の利益を違法に侵害するものであったとはいえないことなど、本件に表れた諸事実を踏まえると、被控訴人Y1社が控訴人に対して賠償すべき損害額を算定するに当たっては、控訴人にも相応の過失があったと認められるのであり、4割の過失相殺をするのが相当と認められる。

株式会社エスプリ事件・東京地判R4.12.2・労経速2520-30

2/3の退職金減額を有効とした

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 2 争点について

  (1) 被告における退職金は、退職時における基本給の月額(上限30万円)に、勤続年数の増加に応じて上昇する支給基準率を乗じて算出された額を支給することとされ、勤続年数が6年未満の者には退職金が支給されないこととされているなど、賃金の後払い的性格と功労報償的性格を併せ持つものである(なお、退職事由によって退職金の支給額に差異が設けられていないことや、勤務成績が優秀であった者等に退職金とは別に退職慰労金を支給することがあるとされていることは、功労報償的性格を有意に減殺する事情であるとまではいえない。)。
 したがって、本件不支給等規定については、被告における退職金の功労報償的性格に照らし、これを適用する合理性が一般的に否定されるものではないものの、賃金の後払い的性格に照らし、原告の被告における勤続の功を抹消又は減殺するほどの著しい背信行為があったと認められる場合に限り、適用が許されると解するのが相当である。
 そこで、以下、検討する。

  (2) 原告の背信行為について
   ア 別口預金の存在に言及するなどして金銭(給与増額)を不当に要求したことについて
 ①現社長は、原告と共に貸金庫に保管してあった別口預金口座から引き出した現金を取りに行った直後に、一旦は、原告に対し、別口預金の口止め料として300万円を支払おうとしたこと、②その際、原告は、過去に被告に国税局の査察が入った際に、その関連で原告の親族の会社や自宅にも査察が入ったことにより、原告の母が行っていたビジネスが打撃を受け、原告の母が損害を被ったことに触れたことについて言及したことを認めていること、③原告は、別口預金の口止め料として300万円を提示されたのに対し、「他の件もある」、「これはいらない。自分の給料を保障してくれないんだったら、これは見合わないからもらえない。」と述べ、300万円では足りないとして、これを受け取らなかったこと、④その後、現社長が考え直して、顧問会計士事務所に依頼して、別口預金について修正申告を行うことにしたこと等の一連の経過に照らし、原告は、①に先立ち、現社長に対し、②を指摘し、また、別口預金等に係る経理上の不正の存在をほのめかして金銭(給与の増額)を要求していたものと推認するのが相当であり、現社長は、これをもって、原告から脅迫され、口封じとして金銭を要求されていると受け取っていたことが認められる。
 そして、被告において、平成30年3月期の当期純利益は前年度と比較して増えたものの、被告がかろうじて黒字を維持することができたのは、役員及び原告の大幅な給与減額や前社長の退任による経費削減によるところが大きく、役員及び原告の給与を増額できるような状態ではなかったのであり、経理担当者である原告がこのことを認識していなかったはずはない。そうであるにもかかわらず、原告は、経理担当者であるからこそ知り得た被告の経理情報に基づき、別口預金等に係る経理上の不正の存在をほのめかして金銭(給与の増額)を要求したものであるから、かかる原告の行為は、原告から脅迫されたと受け取った現社長との間の信頼関係を大きく毀損したものといわざるを得ず、被告に対する背信行為に当たるというべきである
 なお、原告の前記行為については、本件配転命令という人事上の措置によって対応されたものであるから、重ねてこの点を本件解雇の解雇事由そのものとすることは相当でないが、原告において被告における勤続の功を抹消又は減殺するほどの背信行為があったかを判断するための要素とすることが妨げられるものではない(かかる判断は、原告が本件不支給等規定1号に形式的に該当することを前提に、本件に現れた一切の事情を総合して判断すべきものである。)。

   イ 本件給与減給を承諾していないと虚偽主張をし、給与増額を不当に要求したことについて
 原告は、平成28年3月頃に前社長から大幅な減給を提案された際、強く異議を述べることはしなかったこと、また、原告は、本件給与減額が行われた同年4月以降、被告に対して平成31年1月17日付け請求書を送付するまで、本件給与減額を承諾していないと主張した形跡がないことに照らし、原告は、本件給与減額を承諾していたものと認めるのが相当である。
 もっとも、本件全証拠及び前記認定事実によっても、原告が本件給与減額を明らかに承諾していたとは認めるに足りず、原告が本件給与減額を承諾したことを争い、被告に対して本件給与減額に係る賃金相当損害金を請求したことが、殊更虚偽の主張をして不当な要求をしたものであるとまではいい難い。
 したがって、原告の前記行為が、被告に対する背信行為に当たるとはいえない。

   ウ 本件配転命令に強く抵抗し、業務命令に違反して経理業務の引継ぎを拒否したことについて
 (ア) 原告は、現社長の信頼を失うような言動をして本件配転命令を受け、平成30年12月7日、被告から包括的な引継ぎを命じられたにもかかわらず、同月14日、後任の経理担当者であるFに対して引継ぎを拒否する旨、業務命令には従わない態度を明確にし、その後は、被告から具体的に引継ぎを求められたものについてしか引継ぎをせず、また、被告から具体的に引継ぎを求められた際にも、メインバンクであるK銀行のインターネットバンキングについて誤ったログインパスワードを教えたほか、後任のFが引継ぎを受けに来ても直ちに引き継ぐことはなく、社長の業務命令書の交付を求め、これに応じてFが社長の業務命令書を持参しても、そこに押印がないことを指摘して引継ぎを拒否するなどして、一つの事項について引継ぎをするのにFに何回も足を運ばせることを繰り返したことが認められる。さらに、原告は、被告から具体的に引継ぎを求められなかった経理資料やUSBメモリについては、前訴の係属後になってようやく被告に返還したことが認められる
 そして、原告による以上の業務引継ぎ拒否の結果、①被告は、原告から教えられた誤ったログインパスワードを使用してメインバンクであるK銀行のインターネットバンキングへのログインを複数回試みたため、ロックがかかってしまい、インターネットバンキングを利用することができなくなり、再申込みにより利用を再開できるまでの間、後任の経理担当者であるFは、本来であれば事務所にいながらインターネットバンキングを利用して処理することができる銀行取引について、その都度、銀行の窓口に赴いて処理しなければならない事態となったこと、②原告が給与支払の準備に必要な給与ソフトのパスワードをなかなか引き継いでくれず、経理資料も自宅に保管したまま返還しなかったために、Fは、被告のパソコンに給与ソフトを再設定した上、顧問会計士事務所に保存してあったデータ等を用いてデータを復元して対応することを余儀なくされたこと、③原告がFに対する経理業務の引継ぎを拒否したため、被告は、業務報酬を負担して、G公認会計士に来所してもらい、Fに対して経理業務を指導してもらわなければならなくなったことが認められ、原告が速やかに経理業務の引継ぎを行わなかったことにより、被告及び被告の従業員の業務に大きな支障が生じたことが認められる
 原告が前記対応をする過程で、原告と後任の経理担当者であるF及びFと共に原告から経理業務の引継ぎを受けるために奔走したHとの間の信頼関係は、修復困難な事態に陥ったことが認められる。
 (イ) 以上について、原告は、長年にわたり被告の経理業務を担当していたことから、被告から要求された引継ぎの対象が経理業務を遂行する上で必要かつ重要であること、これらを速やかに引き継がなければ被告及び被告の従業員の業務に支障が生じることについては、十分認識していたものと認められる。他方、原告にとって、被告から要求された引継ぎをすることは、容易であったものと認められる。
 それにもかかわらず、原告は、被告から長年にわたり役員に近い水準の高額な給与の支払を受けていた幹部職員でありながら、合理的な理由もなく業務の円滑な引継ぎをせず、被告及び被告の従業員の業務に支障を生じさせ、その結果、被告との間の信頼関係だけでなく、原告から引継ぎを受けるために奔走した被告の従業員との間の信頼関係も失われるに至らせた。そして、経理業務に支障が生じることは、被告の経営上大きな問題を生じさせるものということができる。そうすると、①インターネットバンキングが利用できない間は、銀行窓口に赴けば必要な取引ができたこと、②給与ソフトのパスワードが開示された後は、原告が自宅に保管していた経理資料がなくとも、経理業務の処理は可能であったこと(争いがない。)、③原告が自宅に保管していたUSBメモリを速やかに引き継がなかったために、経理業務に具体的な支障が生じたことはなかったこと(争いがない。)、④原告が経理資料やUSBメモリを速やかに引き継がなかったことにより、機密情報が漏えいしたことはなかったこと(争いがない。)を考慮しても、原告の前記行為は、被告に対する背信行為に当たるというべきである
 (ウ) なお、原告は、本件配転命令が突然発せられ、原告には後任者の氏名すら伝えられないなど、原告には引継ぎのための十分な時間的余裕がなかったとして、原告が後任者に対する引継ぎに直ちに適切に応じることができなかったことにはやむを得ない面があった旨を主張する。しかし前記ア及びイにおいて説示したとおり、原告は、本件配転命令を受けて被告から包括的な引継ぎを命じられ、かつ、被告から要求された引継ぎをすることは容易であったにもかかわらず、合理的な理由なく、後任の経理担当者であるFに対して引継ぎを拒否する旨、業務命令には従わない態度を明確にするなどの対応をしたものであるから、前記主張には理由がない

  (3) 評価
 前記(2)アのとおり、①原告は、被告が原告の給与を増額できるような状態ではなかったことを認識していたはずであるのに、経理担当者であるからこそ知り得た被告の経理情報に基づき、別口預金等に係る経理上の不正の存在をほのめかして金銭(給与の増額)を要求し、原告から脅迫されたと受け取った現社長との間の信頼関係を大きく毀損した。そして、原告は、この件により本件配転命令を受けると、前記(2)ウのとおり、②長年にわたり役員に近い水準の高額な給与の支払を受けていた幹部職員でありながら、合理的な理由なく、本件配転命令に強く抵抗し、業務命令に違反して経理業務の引継ぎを拒否し、長期間にわたり被告及び被告の従業員の業務に支障を生じさせた。そして、その結果、被告の経営上大きな問題を生じさせるとともに、被告との間の信頼関係だけでなく、原告から引継ぎを受けるために奔走した被告の従業員との間の信頼関係も失わせるに至らせたものである。このような原告の行為は、悪質であり、その背信性の程度は著しいものといわざるを得ない(なお、被告は、原告に対する対応として、懲戒解雇を選択せず、普通解雇(本件解雇)を選択したものであるが、そのこと自体により原告の行為の背信性の程度が左右されるものではない。)
 そうすると、原告の行為により被告に生じた業務上の支障を一定程度限定する事情が認められること、さらに、原告が、19年(アルバイトとして勤務した期間を含めると28年)にわたり、被告の経理業務を担当してきたものであって、被告に対する一定の貢献が認められることを斟酌したとしても、原告の行為は、原告の被告における勤続の功を大きく減殺するものであって、その減殺の程度を3分の2とした被告の判断は相当なものであるというべきである。
 したがって、被告が、原告に対し、本件不支給等規定を適用し、退職金の支給額を3分の1に減額したことは有効である。

医療法人社団Bテラス事件・東京地判R5.3.15・労経速2518-7

ハラスメント立証のための秘密録音の証拠能力肯定。

(原告<歯科医師>が、不在時のスタッフ間の会話を秘密録音したもの。また、原告が患者との会話を秘密録音したもの。)

安全配慮義務が尽くされていない場合の不就労賃金請求権肯定。

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 (2) 違法収集証拠

   ア 被告らは、①診療録を写真撮影したもの、②予約画面及び印刷された予約表を写真撮影したもの、③控室におけるスタッフの会話等及び診察ブースにおける患者との会話を秘密録音したものについて、違法に収集された証拠であり、以下の理由から証拠の排除を求めている。
   イ 被告らは、①診療録を写真撮影したもの及び②予約画面等を写真撮影したものについて、証拠の申出が秘密漏洩罪に該当する、証拠の申出が個人情報保護法に違反する、証拠の収集が個人情報保護法に違反する、争いのない事実を立証するものであり、必要性がないと主張する。
 次に、被告らは、③の控室でのスタッフ会話等の秘密録音は、患者や治療にかかる極めて秘匿性の高い個人情報がなされる場所で、会話の秘匿性が担保されていると通常想定して話をしているのであり、かかる場所での会話が録音されることはおよそ想定されておらず、違法性の程度は極めて高いこと、スタッフのブライバシーの侵害、すなわち人格権を侵害する不法な行為であると主張する。
 また、被告らは、③診察ブースでの原告と患者との会話の秘密録音は、診察ブースでの患者と歯科医師との会話であり、患者は法律上の守秘義務を負っている医療従事者を信頼して行われるもので、その場でなされた会話が第三者に開示されることは想定されていない。かかる場における法律上の守秘義務を負うものとの間の会話が事前に許可を得られることもなく録音されることは、違法性が高いと主張する。
ウ 民事訴訟法が証拠能力(ある文書や人物等が判決のための証拠となり得るか否か)に関して何ら規定していない以上、原則として証拠能力に制限はなく、当該証拠が著しく反社会的な手段を用いて採集されたものである場合に限り、その証拠能力を否定すべきである。
 これを本件についてみると、①証拠は、許可なく診療録を写真撮影したもの、②証拠は、許可なく予約画面等を写真撮影したものであるが、これらを前提としても、著しく反社会的な手段を用いて採集されたとはいえないから、証拠能力を肯定すべきである。③証拠は、控室の会話に関する秘密録音の反訳書面で、控室における原告と被告乙山次子との会話、原告が不在時の控室内における本件歯科医院のスタッフの会話を、原告以外の発言者の知らないところでその発言を録音されたというものであって、これを前提としても、当該録音が著しく反社会的な手段を用いて採集されたとはいえないから、証拠能力を肯定すべきである。
 また、甲第107号証は、診察ブースにおける原告と患者との会話の秘密録音の反訳書面である。当該患者は、守秘義務を負っている歯科医師の原告が許可なく、会話を録音し、それを外部に提出することは全く想定していないのが通常であり、当該患者の人格権に関する侵害の度合いは高いことは否定できないが、これを前提としても、録音された当該患者が証拠の排除を求める場合はさておき、少なくとも被告らとの関係においては、著しく反社会的な手段を用いて採集されたものとまではいえないので、証拠能力を肯定すべきである

5 争点4(責めに帰すべき事由の有無)について
  (1) 原告は、就労の意思を有しているが、被告法人が安全配慮義務を怠っているため、就労することができない旨主張する。
 原告は、令和4年5月14日以降就労する旨の意思を表示している(前記認定事実(7))。また、前記2で説示したとおり、被告乙山次子による不法行為が認められる。
    被告らは、本件歯科医院は、P6が実質的に運営を担当し、被告乙山次子は、訪問診療に関わっていること、今後はP3を院長として新たな体制を運営していくことから、原告と被告乙山次子が接触する時間は限定的であり、被告乙山次子が原告に対して指揮命令する場面は生じない旨主張する。
 しかし、口頭弁論終結日における被告代表者は、被告乙山次子である上、矯正に関して次の先生が手配できるまでは、週1、2回は本件歯科医院に出勤する必要があること(被告乙山次子)からすれば、現時点においては、安全配慮義務が尽くされたとはいえず、使用者たる被告法人の責めに帰すべき事由により労務を提供できなかったといえるので、原告は、労働契約に基づく賃金請求権を有する(民法536条2項)

日本アクリル化学事件・名古屋地判令5.2.15・労経速2516-34

米資本。日本唯一の事業所(名古屋工場)の閉鎖、解散。30名の解雇。

解雇有効。不当労働行為否定。14回の団体交渉。

2019年

6月14日 2方針説明会(午前組合、午後全体)

12月18日 閉鎖決定通知

2020年

8月24日 解雇予告通知(9月30日付け解雇)

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【事業】

△△グループでは、グループの複数法人からの役員及び従業員で構成され、特定法人に属しない「事業部」で事業を管理している。名古屋工場は、○○事業部(以下「○○」という。)の所管する工場である。被告は、○○を基本とする△△グループの事業部からの製造指示により製造した製品を、a社を含む各国の△△グループの法人に販売している。

【解雇の合理性】

これに対し、原告らは、被告の経営状況からすれば、名古屋工場閉鎖の必要性はなく、設備投資は閉鎖の口実にすぎないと主張する。しかし、前記のとおり、被告が名古屋工場閉鎖を決定したのは、名古屋工場の継続に必要な安全性改善等のための設備投資が受けられず、事業を継続することができないためであり、被告の経営状況を直接の原因とするものではないし、○○テックセンターが名古屋工場を含む全ての工場について安全性を評価し、設備投資の必要額の見積りをした経緯からして、設備投資が口実にすぎないと認めることはできず、原告らの上記主張には理由がない。

【交渉当事者】

原告らは、被告が名古屋工場閉鎖の決定権限がないにもかかわらず、形式的に団体交渉を継続したと主張する。しかし、現に名古屋工場を操業し、原告組合員らの使用者である被告が原告3労組との団体交渉の主体となるべき者であることは明らかであり、団体交渉の一部では、○○及び△△グループの担当者が出席する機会が設けられたことにも照らせば、被告のみが使用者側の団体交渉の主体として対応したこと自体は、交渉の不誠実性を基礎付けるものとはいえない。

【利益状況資料の不開示】

被告は、被告とa社<親会社>との取引における利益の配分状況に関する資料について、原告X13支部からの開示の求めに応じなかったことが認められるが、上記利益の配分状況について直ちに提出可能な作成済み資料があったことはうかがわれないこと、被告は、利益配分が恣意的になされている可能性があるとの疑念については、資料を作成できない理由とともに、a社との取引について、恣意的に被告の利益を操作できる構造でないことを説明していること、被告は経営状況を説明するための資料として、決算報告書を開示していることを併せ考えれば、上記利益の配分状況に関する資料の求めに対し、被告が不誠実な対応をとったとはいえない。

【検討情報秘匿】

原告らは、被告が、被告の経営状況を操作したことを隠すため、□□プロジェクトでの工場閉鎖の検討を秘匿したと主張する。□□プロジェクトでの会議の議題によれば、○○及び被告は、平成29年頃以降、名古屋工場の閉鎖を想定した議論をしていたことがうかがわれる。しかし、工場閉鎖による影響の大きさを考えれば、説明会の実施前に従業員に対して工場閉鎖を検討中であることを明かさないことは不合理ではなく、被告の経営状況を操作する目的で工場閉鎖の検討を秘匿したということはできないまた、原告らは、平成30年6月22日、被告が「工場閉鎖については聞いていない」との回答をしたことが虚偽であるとする。しかし、被告の経営陣において工場閉鎖の検討をしている段階で、直ちに従業員に対して開示する義務があるとまではいえず、その後、被告が工場閉鎖決定の6か月前に正式に説明をした点を考慮すれば、上記回答をもって被告の対応が誠実性を欠くとまではいえない

【設備投資額の水増し】

原告らは、設備投資額約33億円に、プロセス安全対策に不要な設備投資が含まれており、個別の見積額についても過去に示された見積額よりも大幅に増額していることから、設備投資額が水増しされていると主張する。しかし、被告は、当初の説明会の資料においても、投資の内容として生産能力増強のための付帯設備など、プロセス安全対策以外の内容を含むことを記載しており、団体交渉においても設備投資額にプロセス安全対策以外の工事が含まれていることを認めているから、虚偽の説明をしたとは認められないし、一定規模の設備の改修を行う際に、投資効率の観点から近い将来必要となる改修も併せて行うことは不合理なものではないまた、被告が、設備投資をするに当たって、どのような性能、規模の設備を導入するかについては、経営判断に関する事項であるから、被告又は○○が見積もった設備投資が、原告らが想定する設備投資額を上回ったとしても、不合理であるということはできないし、過去の見積りに関しても、異なる時点での判断であり、必要とされる設備の内容が同一であるともいえないから、原告らの主張を採用することはできない。

2023年9月27日水曜日

明治安田生命保険事件・東京地判令和 5年 2月 8日・労経速2515-3

評価目的有期契約に更新上限をつけ、雇止め → 有効とした

vs

試用期間満了時に留保解約権行使

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第3 争点に対する判断
 1 争点(1)(原告と被告との間で無期労働契約が締結されたか)について
  (1) 証拠(書証略)によれば、被告の営業職員の雇用形態等については、以下のとおりであると認められる。
   ア 被告においては、営業職員として採用されることを希望する者は、被告との間でアドバイザー見習候補契約(期間1か月)を締結して、研修を受け、生命保険一般課程試験の合格を目指す。
   イ 被告は、生命保険一般課程試験に合格し、健康状況が良好である等の一定の条件を満たした者との間で、アドバイザー見習契約(有期労働契約)を締結する。アドバイザー見習契約については、契約期間が第Ⅰ期間(1か月)と第Ⅱ期間(3か月)に分かれている。
   ウ アドバイザー見習契約の第Ⅱ期間中に、アドバイザーB(Ⅰ号給)として採用されるための格付基準(本件規程10条。本件採用基準)を満たした者は、MYライフプランアドバイザーとして、被告との間で無期労働契約を締結する。MYライフプランアドバイザーには、アドバイザーBのほかに、アドバイザーA、アドバイザーS等があるところ、アドバイザーBは、MYライフプランアドバイザーとして採用される者の最初の資格と位置付けられる。
  (2) 本件見習契約についても上記(1)イで認定した枠組みに従って締結されたと認められるところ、本件見習契約(書証略)においては契約期間が明示的に定められている(第Ⅰ期間は1か月間、第Ⅱ期間は最大3カ月間)から、本件労働契約は有期労働契約であると評価すべきであり、他に原告と被告との間で締結された契約はないから、原告と被告との間で無期労働契約が締結されたとは認められない
  (3) 原告は、本件見習契約の期間中に本件採用基準を満たせばMYライフプランアドバイザーとして採用されるから、当該期間は労働者の適性を評価するための期間であって、これを試用期間と評価すべきである旨を主張する。しかしながら、労働者の適性を把握するために有期労働契約を締結すること自体は許容されているところ、本件見習契約の期間においては、労働者の適性を評価することが予定されているとしても、さらには実態としてはほとんどの者がアドバイザーBに採用される(人証略)としても、本件見習契約においてはその終期が明示的に定まっている(第Ⅰ期間、第Ⅱ期間を通算すると4カ月が限度となる。)以上は、これを試用期間と解することはできないというべきである(本件では期間の満了により本件見習契約が当然に終了する旨の明確な合意が成立しているというべきであって、最高裁平成元年(オ)第854号同2年6月5日第三小法廷判決・民集44巻4号668頁の射程は及ばないと解すべきである。)
 原告は、本件見習契約を有期労働契約と解すると、労働契約を容易に解消することが可能になるから、試用期間について積み重ねられてきた判例法理の潜脱スキームである旨主張するが、労働者の適性を把握するために有期労働契約を締結すること自体は許容されていることからすると、試用期間について積み重ねられてきた判例法理の潜脱になるとまではいえない。
 2 争点(2)(更新の合理的期待の有無、申込み拒絶の客観的合理性・社会的相当性の有無)
  (1) 証拠(書証略)及び弁論の全趣旨によれば、本件見習契約においては、第Ⅱ期間の更新は2回である旨が明確に定められているところ、原告については更新が2回された後に、被告は、本件通知を行い、本件見習契約を期間満了により終了させたと認められる。そうだとすると、本件見習契約が、これ以上更新されることについて、原告に合理的な期待があったとは認められない
  (2) 原告は、採用基準を満たせばMYライフプランアドバイザーとして採用されることについては合理的な期待があった旨主張するが、本件労働契約は有期労働であるのに対し、MYライフプランアドバイザーとしての雇用契約は無期労働契約であり、全く別の契約であるというべきであるから、MYライフプランアドバイザーとして採用されるために労働契約を締結することは新たな契約の締結というべきであって、労働契約法19条2号にいう「更新」には該当しない。したがって、仮に原告に採用基準を満たせばMYライフプランアドバイザーとして採用されることについて期待があったとしても、これは労働契約法19条2号にいう合理的な期待があったとはいえない
 また、被告が雇止めをした経緯については、争いがあるものの、原告の供述等の証拠(証拠略)に基づいたとしても、原告は①令和2年7月1日午後6時30分頃、「このセンターは、おかしい」などと発言しながら、持っていたバッグを床に強く落としたこと、②同年7月9日に適応障害により3カ月の休養が必要と診断され、その後、現に療養していたことが認められるから、少なくとも、本件採用基準のうち「健康状況が良好であること」「活動・成果状況、教育受講状況等から判断してMYライフプランアドバイザーとしての職務遂行に必要な能力、適性及び意欲を有すると認められること」を充足せず、本件採用基準には該当しなかったと認められる(原告は、上記①の言動が仮にEセンター長からのハラスメントが契機となった旨を主張するが、そのような契機があったとしても、上記①の言動を行うことが正当化されるわけではない。また、原告は、被告が提出した、アドバイザーBとして採用しない理由に関する証明書(書証略)に、「健康状況が良好であること」についての記載がないとも主張するが、そうだとしても、原告の健康状況が良好でなかったことに変わりはない。したがって原告の主張を踏まえても、原告は本件採用基準には該当しなかったとの判断は左右されない。)。そうすると、いずれにせよ原告にMYライフプランアドバイザーとして採用されることについての合理的な期待があったとはいえない。
  (3) 原告は、雇用継続に向けた期待を保護すべき必要性は変わらないから、同号を類推適用すべきである旨主張するが、本件労働契約は有期労働であるのに対し、MYライフプランアドバイザーとしての雇用契約は無期労働契約である以上、類推適用の基礎を欠くというべきであるから、原告の主張は採用できない
第4 結論
 以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は、理由がない。

ブルーベル・ジャパン事件・東京地判令和 4年 9月15日・労経速2154-3

原告の疾患は安定

②原告の感染リスク・重症化リスクの医学的裏付けなし

→被告に予見可能性なし

③原告の担当業務はその大半が在宅勤務困難(原告の出社がない限り薬事チーム全体の業務に支障を来しかねない)

④被告は上記の事情を原告に説明

⑤被告は通勤時の人混みを回避させるための特別措置としてスーパーフレックス及び自転車通勤を特例承認(一般の従業員には当然には認められていない

→ 在宅勤務措置を講じなくても不法行為法上の違法性はない

→ かえって、有利な待遇上の配慮と認める

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  争点(1)(在宅勤務の不承認等の被告の対応について合理的配慮義務違反及び安全配慮義務違反による不法行為が成立するか及び成立する場合の原告の損害額)について

  (1) 本件合理的配慮義務①及び本件安全配慮義務の懈怠を理由とする被告の不法行為の成否について
   
ア 原告は、少なくとも令和2年3月及び4月の時点で、被告は、本件障害<HIV感染症による免疫機能障害>を有する原告が東京都心にある被告の本社に出社する際に生じる対人接触のリスクを回避させるため、原告に対し、リモートワークによる在宅勤務又は自宅待機を許す措置を講じる注意義務(本件合理的配慮義務①及び本件安全配慮義務)を負っていたから、被告がこれらの措置を講じず、また、本件出社要請及び本件退職勧奨を行ったことは、上記の注意義務を懈怠するものであって不法行為を構成する旨を主張する。
 この点、使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、当該労働者が業務の遂行に伴ってその生命及び健康等を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であるところ、かかる注意義務の具体的内容は、当該注意義務違反が問題となる事象ごとの具体的状況等に応じて定まるものと解すべきである。そして、障害者雇用促進法37条2項所定の「対象障害者」に該当する労働者について上記の注意義務の内容及び注意義務違反の有無を検討する際には、同法36条の3及び36条の4の趣旨並びに合理的配慮指針の内容に即し、当該労働者の障害の特性やその意向についても考慮することを要するものと解される。
 以上を前提として、令和2年3月及び4月の時点で、被告が原告に対しリモートワークによる在宅勤務又は自宅待機を許す措置を講じなかったこと並びに本件出社要請及び本件退職勧奨を行ったことが上記の注意義務に違反したものとして不法行為を構成するか否かにつき、個別に検討する。
   
イ 令和2年3月9日の原告の在宅勤務の申入れに対する被告の対応について不法行為が成立するか。
 前記第2の2の前提事実並びに前記1及び2において認定した事実(以下、これらを併せて「前提事実等」という。)によれば、原告は、令和2年2月27日以降、C部長、D及びEに対し、それぞれ新型コロナウイルス感染症の拡大傾向が続く中で本件障害により免疫力が健常者よりも著しく低い自分は会社からどのような配慮を受けることができるのかといった趣旨の問合せをし、同年3月9日にはFに対してテレワークなど人に接触せずに仕事をすることができないかを問い合わせたところ、同日、Fから、原告に在宅勤務の対応は予定がない旨の回答を受けたことが認められる。そこで、上記の経過に係る被告の原告への対応に関し、被告に在宅勤務又は自宅待機を許す措置を講じる注意義務に違反したことによる不法行為が成立するか否かについて検討する。

 (ア) 前提事実等によれば、政府は、令和2年2月1日、新型コロナウイルス感染症を指定感染症に指定し、同月25日には感染拡大防止のための「基本方針」を公表したこと、日本国内では令和2年1月16日に最初の感染者が報告され、同年3月4日までに257例に増加するなど客観的にも感染が拡大していたこと、新型コロナウイルスの感染経路については、遅くとも令和2年3月6日までには、飛沫感染が主体と考えられ、接触感染や換気の悪い環境下での感染もあり得るという医学的知見が得られていたことなどから、同年2月25日に公表された「基本方針」において、公共交通機関の混雑緩和を通じて感染拡大の防止を図るため、感染防止対策の徹底やテレワークや時差出勤の呼びかけが行われ、同年3月1日には、新型コロナウイルス感染症対策本部からも、換気が悪く、密集した場所や不特定多数の人が接触するおそれが高い場所では、感染を拡大させるリスクが考えられるという報告がされていたことが認められる。
 かかる諸事情を踏まえると、原告が、令和2年3月9日までに、本件疾病に起因する本件障害を有していたことを理由として、通勤時や就業場所において新型コロナウイルスに感染し易く、重症化しかねないという不安を抱き、被告に対して在宅勤務を含む感染防止措置の検討を求めたことはもとより自然な対応であると認められる。一方で、上記の時点において、新型コロナウイルス感染症については、平常時の通勤時間帯の公共交通機関のように特段の感染対策が施されないままに不特定多数人が密集するといった状況下においては感染の可能性があるが、頻回の換気や密集の回避あるいは衛生マスクの着用等といった感染防止対策が講じられている環境下であれば、感染可能性を一切否定することまではできないとしても、その危険性は低下するといった認識が一般化しつつあったといえ、少なくとも、かかる環境下であっても通勤時の公共交通機関の利用あるいは職場における労務提供の際に感染の危険性が高まるといった認識が医学的知見の裏付けをもって一般化していたとまでは認められない。
 この点、令和2年3月当時、スポーツジム等の密閉空間における感染拡大が特に懸念されていたところ(書証略)、原告は首の疼痛緩和の目的でかねてから被告の福利厚生制度を利用して通所していたスポーツクラブに赴きパーソナルストレッチトレーニングを継続していたことが認められるが(書証略)、このような原告の行動は、その当時、感染防止対策が講じられた環境下であれば感染可能性は低減するという認識が一般化しつつあった旨の前示の認定に沿うものである。

 (イ) 次に、前提事実等によれは、原告は、令和2年2月10日にA医療センターにおいてB医師から本件疾病及び本件障害に係る定期診断を受けたが、その際に受けた血液検査の結果は、CD4陽性細胞(CD4T細胞)数が685個/mm3(健常人は800~1200個/mm3)、HIV-RNA量は検出感度以下というものであり、免疫状態は安定し、ウイルス学的にも良好な状態が保たれていたこと、原告は、主治医のB医師から、原告の免疫力が健常者よりも低いことから、できるだけ人混みや不必要な外出を避けるよう指導されていたものの、日常生活上の行動制限や通勤及び就業の中止まで指示されてはいなかったこと、令和2年3月9日までの間に、本件疾病を有する患者が健常者に比較して新型コロナウイルスに感染し易く、あるいは感染後の重症化リスクが高いなどといった相互的な関連性が医学的なエビデンスに根拠づけられて提示されていたものではないことが認められる。
 この点、B医師は、令和3年6月2日付けの意見書において、HIV感染者が新型コロナウイルス感染症にり患した場合は健常者に比較して重症化のリスクが高くなり、また、予後が不良となる可能性がある旨の意見を述べているが(前記1(6)エ)、前記事実等において認定したとおり、厚生労働省発行の「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)診療の手引き」に本件疾患(特にCD4T細胞<200/μLの場合)が「重症化のリスク因子かは知見が揃っていないが要注意な基礎疾患」として記載されたのは、令和2年6月17日発行の第2.1版が初出であり、また、同年4月3日に被告に提出されたB医師作成の本件診療情報提供書の記載内容から上記の趣旨を読み取ることはできないことからすれば、令和2年3月及び4月の時点において、本件疾病を有する患者が健常者に比して新型コロナウイルス感染症に罹患し易く、あるいは重症化し易いといった医学的知見が一般化していたとは認め難い。
 以上の事情に前記(ア)の事情を併せると、被告において、原告が、同年3月9日の時点で、新型コロナウイルスに感染したり、感染した場合に重症化する蓋然性が基礎疾患のない健常者よりも高く、それゆえ、感染防止対策の内容のいかんを問わず、外出すること自体が忌避されるべき健康状態にあるという事柄に関して予見可能性があったとは認め難いものといわざるを得ない。

 (ウ) さらに、前記事実等によれば、①被告は、令和2年2月21日以降、従業員に対し新型コロナウイルス感染症の予防を呼び掛けるとともに、同年3月1日以降、従業員に時差出勤プログラムを導入したほか、従業員用の衛生マスクの確保、消毒薬の社内設置及び会議室等へのアクリル製パーテーションの設置等の各種の感染防止策を講じていたこと、②原告は、令和2年1月頃以降、薬事チームに配属されて同チームが所管する業務のアシスタントとして就労していたが、原告の担当業務のうち在宅勤務により対応することが可能なものは一部にとどまり、その余の大半の業務は、被告の商品である香水、化粧品等の多数の製品の現物を取り扱う業務であったり、社外への持ち出しが禁じられている被告の機密情報を用いる作業であったため、在宅勤務により対応することが業務の性質上困難であったこと、③被告は、令和2年2月以降、原告に対し、上記②の事情により原告に在宅勤務を認めることは難しく出勤してもらう必要がある旨を説明した上で、通勤時の人混みを避けるための措置として、スーパーフレックス及び自転車通勤を特例で認める旨の措置を講じたことが認められる。そうすると、令和2年3月9日当時、被告が講じていた新型コロナウイルス感染症の感染防止策は、いずれも前記アにおいて認定した当時における新型コロナウイルス感染症の予防に関する一般的な認識に沿ったものであったといえ、原告の担当業務が在宅勤務に馴染まない性質のものであったことから在宅勤務は認めないという対応となったものの、前記(ア)の医学的知見を踏まえた感染防止策として、公共交通機関を利用した通勤時の混雑等から原告を回避させることを企図した特例措置を講じていたものと認めることができる。

 (エ) 以上の検討を総合すれば、令和2年3月9日までの期間において、原告が本件疾病に罹患して本件障害を有していたとしても、本件疾患は治療によりコントロールされて就労に支障がない状態にあったといえ(なお、かかる認定は令和2年3月当時に原告が免疫機能障害2級の身体障害者手帳を保有し続けていたことを踏まえても直ちに左右されない(書証略)。)、原告が通勤や就業時の労務提供の際に新型コロナウイルスに感染する可能性や感染した場合に重症化する可能性が高かったことが医学的に裏付けられていたとはいえず、それゆえ、被告において、上記の事柄について予見可能性があったとは認められないこれに加えて、原告の担当業務は、その大半が在宅勤務で対応することが困難な業務であり、原告の出社が見込まれない限り薬事チーム全体の業務に支障を来しかねないものであり、被告は、上記の事情を原告に説明した上で、通勤時の人混みを回避させるための特別措置として、原告に対し、一般の従業員には当然には認められていないスーパーフレックス及び自転車通勤を特例として承認するという対応をしていたことも併せれば、被告において、上記の特例措置に加えて更に原告に対しリモートワークによる在宅勤務又は自宅待機を許すという措置を講じなかったとしても、本件安全配慮義務及び本件合理的配慮義務①に係る注意義務を怠ったものとして不法行為法上の違法性を帯びるとは認め難くかえって、被告においては、原告の本件疾病や本件障害の特性に配慮して健常者である他の従業員よりも有利な待遇上の配慮をしていたものと認めるのが相当である。

   ウ 令和2年3月10日以降の被告の対応について不法行為が成立するか。
 前記事実等によれば、原告は、令和2年3月10日以降、風邪症状を理由に被告を欠勤し、同月16日以降も私傷病欠勤を続けたこと、その間、同月27日にはDに対して原告が出社できる環境にあるのかを問い質し、さらに、同月30日には、G本部長に対してもスーパーフレックスであっても出社は難しいなどとして打開策の検討を求めたこと、これに対し、C部長は、同年4月14日、原告と面談し、原告の体調や担当業務の性質に照らせば在宅勤務は認められないとして出社を求め(本件出社要請)、それでも出社できないというのであれば退職も検討してもらわざるを得ない旨を告げた(本件退職勧奨)こと、原告は、同月17日、被告代表者に対し、本件退職勧奨には応じられないとして、在宅勤務か他の部署への配置転換を検討するよう求めたことが認められる。
 そこで、上記の経過に係る被告の原告への対応に関し、被告に在宅勤務又は自宅待機を許す措置を講じる注意義務に違反し、違法な本件出社要請及び本件退職勧奨を行ったことによる不法行為が成立するか否かについて検討する。
 (ア) 前提事実等によれば、令和2年3月以降も国内においては新型コロナウイルス感染症の拡大傾向が続き、同年4月7日には東京都を含む7都府県で緊急事態宣言が発令され、同月11日には安倍内閣総理大臣から関係各所に対して7都府県の企業に「出勤者7割減」を要請するよう指示がされたことが認められる。これに前記イ(ア)の事実を併せると、同年4月14日までの間も、東京都内では新型コロナウイルスの感染拡大は続くばかりで、社会全体でより一層の感染予防対策を取る必要がある旨が認識されていたといえるが、新型コロナウイルスの感染予防に関する一般的認識の内容に特段の変化はなかったものと認められる。
 (イ) 次に、新型コロナウイルス感染症と本件疾病との関連についてみると、前提事実等によれば、令和2年3月17日に厚生労働省から発行された「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)診療の手引き」の第1版において、重症化リスク因子となる基礎疾患の中に本件疾病に関する言及はなく、同月19日に公表された国連合同エイズ計画(UNAIDS)からのアナウンスでも、要旨、本件疾病と新型コロナウイルスへの感染リスクや重症化リスクとの関連を示すエビデンスはないとされ、同月20日に公表された米国健康福祉省による「DHHSによるHIV感染者のためのCOVID-19に関する暫定ガイダンス」においても、進行したHIV感染症の患者(CD4T細胞数<200/mm3)について、同趣旨の記載がされていることが認められる。以上によれば、同年4月14日までの時点においても、本件疾患を有していた原告について、新型コロナウイルスに感染する可能性や新型コロナウイルスに感染した場合に重症化する可能性が基礎疾患のない健常者よりも高いと判断する医学的な根拠は提示されていなかったものと認められる。
 (ウ) さらに、原告の健康状態についてみると、前提事実等によれば、原告は、令和2年3月10日から風邪症状を訴えて被告を欠勤し、同月16日以降は私傷病欠勤を続けていたが、同月末頃には上記の症状は軽快し、同年4月3日頃には、本件障害に関しては十分な治療効果を認めており就業に支障を来すものではないが、現在の状況を鑑みると在宅でのリモートワークが望ましい旨が記載されたB医師作成の本件療養情報提供書が被告に提出されたこと、他方で、原告は風邪症状が軽快した後も新型コロナウイルス感染症への不安から私傷病欠勤を続けており、欠勤ないし療養を続けることが必要な状態にある旨の医師の診断等もされていなかったことが認められる。以上の事情に上記(ア)及び(イ)並びに前記イ(ア)及び(イ)の事実を併せれば、被告において、原告が、同年4月の時点で、新型コロナウイルスに感染したり、感染した場合に重症化する蓋然性が基礎疾患のない健常者よりも高く、それゆえ、感染防止対策のいかんを問わず、外出すること自体を忌避すべき健康状態にあるという事柄に関して予見可能性があったとは認め難いものといわざるを得ない。
 (エ) さらに、令和2年3月及び4月中の被告の原告への対応をみると、前提事実等によれば、被告は、同年3月下旬以降、新型コロナウイルスの感染対策として、従前の施策に加え、従業員について在宅勤務プログラム及び自宅待機プログラムを導入したが、原告については担当業務の性質を理由に出社を求めることになるという説明をしていたこと、C部長は、原告の私傷病休暇が長期化していたことなどから同月14日に原告と面談を行い、その際、原告やB医師の説明から勤務可能であると判断される以上は私傷病休暇の対象とはならず、原告の担当業務は在宅勤務に馴染まないものであるから出社してもらう必要があるが(本件出社要請)、それでも原告が出社を拒むというのであれば、いずれかの段階で本件労働契約②の解除を検討せざるを得ず、その場合は無給のままとなる旨を説明した上で、同月末日に4月分賃金を満額支払った上で退職するという条件を提案して検討を求め(本件退職勧奨)、さらに、原告が被告代表者に対し直接在宅勤務の承認等を求めたことから、同月20日頃、原告に対し本件勤務改善指導書を交付したことが認められる。
 以上の事情によれば、前記イ(ウ)において認定し説示したところと同様に、被告においては、当時における新型コロナウイルス感染症の予防に関する一般的な認識に沿った感染防止策を講じていたものの、原告の担当業務が在宅勤務に馴染まない性質のものであったことから在宅勤務及び自宅待機は認めず、原告において私傷病休暇の要件を欠くものとして本件出社要請をしたものと認められる。
 (オ) 以上の検討を総合すれば、同年3月10日以降においても、原告の本件疾患は治療によりコントロールされて就労に支障がない状態にあり、原告の風邪症状も同月末には軽快していることから、同年4月1日以降は通勤及び就労も可能であったといえ(なお、B医師作成の本件診療情報提供書(同年4月2日付け)には「ただし、現在の状況を鑑みると、在宅でのリモートワークが望ましいと考えます。」と記載されているが、この部分も、当時の一般的に周知されていた感染拡大予防対策を図ることが望ましい旨をいう趣旨と解されるのであって、出社勤務が不相当である旨を述べる趣旨を含むとまでは解し得ない。)、また、原告が通勤や就業時の労務提供の際に新型コロナウイルスに感染する可能性や感染した場合に重症化する可能性が高かったことが医学的に裏付けられていたとはいえず、それゆえ、被告において、上記の事柄について予見可能性があったとは認められない。これに加えて、原告の担当業務の大半が在宅勤務に馴染まないものであったこと、被告において、一般の従業員には当然には認められていないスーパーフレックス及び自転車通勤を特例として承認するといった対応をしていたことも併せれば、被告において、これらの措置に加えて更にリモートワークによる在宅勤務又は自宅待機を許すという措置を講じず、また、原告が特段の療養の必要もないままに欠勤を続けていたことを踏まえて原告に本件出社要請をしたとしても、本件安全配慮義務及び本件合理的配慮義務①に係る注意義務を怠ったものとして不法行為法上の違法性を帯びるとは認め難い。
 また、前示のとおり、医学的見地からも原告は出社勤務が可能な状態にあり、かつ、原告の担当業務は原告が出社しなければ遂行し難いものであったところ、原告が新型コロナウイルスに感染することへの不安から出社に消極的な態度であったこと、本件退職勧奨が原告に退職を促す趣旨を含むとしても、出社に消極的な原告への対応の一つとして退職という選択肢を提示して原告の自発的な退職意思の形成を促すものにとどまるものであって、原告に不当な心理的圧力を加え、その自由な退職意識の形成を妨げるなど社会的相当性を著しく欠く態様で行われたともいえないことからすれば、被告が、原告に対し、原告が特段の療養の必要もないままに欠勤を続けるなど後の労務提供が期待し難い状況にあったことを踏まえて本件退職勧奨を行ったことについても、本件安全配慮義務及び本件合理的配慮義務①に係る注意義務を怠ったものとして不法行為法上の違法性を帯びるとは認め難いというべきである。
 なお、原告は、被告代表者に対し、同年4月17日、在宅勤務を検討し、これが困難である場合には他部門に配置することを検討されたい旨を要望しているが、上記の検討に加え、前記1(5)ウ及び2において認定し説示したとおり、同月22日の合意退職により同月末日をもって本件労働契約②は終了しているから、この間において、被告において、原告に対し、在宅勤務又は自宅待機を許す措置を講じる注意義務があったとは認められない。
   エ 以上のとおりであるから、令和2年3月及び4月の時点で、被告が原告に対しリモートワークによる在宅勤務又は自宅待機を許す措置を講じなかったこと並びに本件出社要請及び本件退職勧奨を行ったことが本件合理的配慮義務①及び本件安全配慮義務に係る注意義務に違反したものとして不法行為を構成する旨の原告の主張は、いずれも採用することができない。
  (2) 本件合理的配慮義務②の懈怠を理由とする被告の不法行為の成否について
 略
  (3) 本件合理的配慮義務③の懈怠を理由とする被告の不法行為の成否について
 略
  (4) 小括
 以上によれは、被告において原告が主張する本件合理的配慮義務①ないし③及び本件安全配慮義務に係る注意義務を懈怠したとは認められず、かえって、被告においては、原告の本件障害の特性を踏まえて必要な対応を行っていたといえるから、被告の原告への一連の対応につき不法行為が成立するとは認められない。したがって、被告に対して不法行為に基づく損害賠償を求める原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないというべきである。

  争点(2)(原告による解約告知又は合意退職により令和2年4月末日をもって本件労働契約②は終了したか)について
  (1) 原告の退職の意思表示の有無について
 被告は、原告が令和4年4月22日に被告本社においてG本部長と面談した際、G本部長に対し、同月末日をもって退職する旨の意思表示をした旨主張するところ、前記1(5)ウ及び2において認定し説示したとおり、原告は、令和2年4月14日のC部長との電話会議による面談及び同月17日に被告代表者宛に待遇の改善を直接求めたことに端を発して同部長から本件勤務改善指導書の交付を受けたことを踏まえ、同月22日、被告本社を訪問してG本部長と面談し、その際、家族と相談し、今回の自分の対応により会社に迷惑を掛けたことを反省し、同月末日をもって退職しようと考えている旨を伝え、G本部長もこれを承諾したことが認められる。以上によれば、原告が、G本部長に対し、同月22日、同月末日をもって被告を退職する旨の意思表示をし、G本部長がこれを承諾したことにより、同月末日をもって本件労働契約②は合意退職により終了したものと認めることができる。したがって、被告の上記主張は理由がある。
  (2) 原告の主張に対する判断
   ア 原告は、労働者からの退職の意思表示の有無を判断するに当たっては、それが真意に基づくものであるかを慎重に検討すべきところ(最高裁平成25年(受)第2595号同28年2月19日第二小法廷判決・民集70巻2号123頁)、本件障害を有する原告は、新型コロナウイルスの感染が拡大しているという社会情勢の下で重大な健康被害が生じるおそれがあったにもかかわらず、被告から本件安全配慮義務及び本件合理的配慮義務①に違反して出勤を要請され(本件出社要請)、出勤できないのであれば退職するよう強要され(本件退職勧奨)、弁護士や労働組合による助力もなく、本件出社要請や本件退職勧奨の適法性やその利害得失を適切に判断することは困難な状況に陥った結果、勤務継続の強い希望を有していたにもかかわらず、退職の言質を取ろうとする被告への対応に窮して退職を拒絶できなかったものであるから、原告のG本部長やC部長に対する言動に退職の意思表示と受け止められるものがあったとしても、いずれも真意に基づかないものであったとして、本件労働契約②が合意退職により終了したとはいえない旨を主張する。
 しかし、原告が指摘する最高裁判決は、就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無について、労働者が使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれており、労働者の意思決定の基礎となる情報を収集する能力に限界があることに照らし、当該労働条件の変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等といった事情を踏まえ、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点から判断されるべきものと解するのが相当であるとしたものであるのに対し、本件のように退職の意思表示の有無が問題となる場面では、労働者は、退職により使用者の指揮命令下から離脱することになるのであって、退職に伴う不利益の内容を十分に認識し得るといえるから、本件は、上記の最高裁判決とは事案を異にするものといわざるを得ない。
 この点を措くとしても、前記3(1)において認定し説示したとおり、被告が本件合理的配慮義務①及び本件安全配慮義務に反する違法な出社命令や退職強要をしたとは認め難く、かえって、前記2のとおり、原告は、G本部長に対し、令和2年4月22日、同月末日をもって退職する旨を伝えた際、家族と相談し、会社に対して迷惑を掛けた今回の自分の対応を深く反省しており、同月末をもって退職を考えていると述べ、同月23日にC部長から退職意思の有無を確認されたのに対しても、上記と同様の説明をしていることからすれば、原告は、退職の意味を了知した上で本件労働契約②を解消しようとする意図をもって退職の申出をしたものと認められるのであって、そのような退職の判断に至った経緯及び動機についても特段不自然、不合理な点は見当たらない(なお、前提事実等によれば、原告は、令和2年4月23日に勤務態度を改める旨を伝えて本件勤務改善指導書をC部長に返送していることが認められ、このことは被告との雇用関係の継続を前提として勤務態度を改める旨を確約する趣旨ともいえるが、前示のとおり、原告は、本件勤務改善指導書を返送する前後において、G本部長及びC部長に対し退職の意思表示を明確に行っていること、C部長に退職の意思表示をした後、同月27日に原告代理人から当該意思表示の撤回の通知がされるまで退職の効力を争う旨の対応はされていないことに照らせば、原告が本件勤務改善指導書を返送したとしても、原告の退職の意思表示が真意に基づくものであるという前記認定を左右するに足りるものとは認められない。)。以上によれば、原告のG本部長に対する令和2年4月22日の退職の意思表示は、自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在したと認められるから、原告の上記主張は採用することができない。
   イ 原告は、令和2年4月22日時点では、退職に係る条件について内容が定まっていなかったのであるから、原告と被告との間で退職合意は成立していない旨を主張する。
 しかしながら、原告が、同日、G本部長に対して同月末日をもって退職を考えていると伝えた際に、退職に関して何らかの留保を付したことはうかがわれない。この点、前提事実等によれば、C部長は原告に対し同月23日に改めて合意解約条件案を書面で送付する旨を伝えたことが認められるが、C部長の上記の提案は、原告が同月末日をもって退職することを前提としたものであると認められるし、退職の意思表示の本旨は労働契約の解消にあるのであって、その点において原告とG本部長との間の退職合意の内容に欠缺や瑕疵はないといえるから、C部長の前示の対応は既に有効に成立した合意退職の効力を左右するに足りるものとは認められない。したがって、原告の上記主張は採用することができない。
   ウ 原告は、令和2年4月27日に退職の意思表示を撤回したと主張する。しかしながら、前提事実等によれば、原告は、G本部長に対し、同月22日の面談において退職の意思表示をなし、G本部長がこれを承諾したことにより、同日をもって合意退職は成立したものと認められるのであって、他方で、原告が退職の意思表示を撤回したのは、その後の令和2年4月27日であるから、原告の退職の意思表示について撤回の効力を認めることはできないと解すべきである。したがって、原告の上記主張は採用することができない。
   エ 原告は、被告から本件合理的配慮義務①及び本件安全配慮義務に反する違法な本件出社要請及び本件退職勧奨を受ける中で退職の意思表示をしたものであって、本件障害に基づき合理的な配慮を受ける権利があることや出勤か退職という二者択一の要求自体が違法であるという認識を欠いていたから、重要な要素に錯誤があった旨を主張する。
 しかしながら、前記3(1)において認定し説示したとおり、被告において、原告がG本部長に対し退職する旨伝えた同年4月22日までの間に、原告に対して在宅勤務及び自宅待機を許す措置を講じる注意義務に違反したとは認められず、本件出社要請及び本件退職勧奨が不法行為を構成すると認めることもできないから、原告の退職の意思表示の重要な要素に錯誤があったとは認められない。したがって、原告の上記主張は採用することができない。
  (3) 小括
 以上によれば、本件労働契約②は令和2年4月30日をもって合意退職により終了したと認められる。したがって、被告に対して労働契約上の権利を有する地位にあることの確認を求める原告の請求は理由がない(なお、争点(3)は、本件労働契約②が上記同日に終了していない場合の被告の予備的主張であるから、別途、判断を要しない。)。
  争点(4)(令和2年4月分賃金に係る欠勤等控除の有効性及び令和2年5月以降の賃金請求権の有無並びにその金額)について
  (1) 令和2年4月分賃金に係る欠勤等控除に係る6万0928円の賃金請求の当否について
 原告は、原告が労務提供できなかったのは、原告が在宅勤務の配慮を求めていたのに、被告が本件合理的配慮義務①及び本件安全配慮義務に違反して原告に在宅勤務を認めなかったためであって、原告の就労義務は被告の責めに帰すべき事由により履行不能となったものであるから、原告は令和2年4月分賃金に係る欠勤等控除がされた金額に相当する額の賃金債権を有する旨を主張する。
 しかしながら、前記3(1)において認定し説示したとおり、被告に本件合理的配慮義務①及び本件安全配慮義務の違反は認められず、原告の就労義務が被告の責めに帰すべき事由により履行不能となったとはいえない。したがって、原告の上記主張は、その前提を欠くものというべきである。

 この点をしばらく措くとしても、乙第15号証の1及び第39号証(書証略)によれば、被告の月例給与は末日締め当月25日払であり、給与計算期間(1日から末日まで)中に生じた欠勤等については、翌月の月例給与から控除されていることが認められ、そうすると、令和2年4月分賃金に係る欠勤等控除は、同年3月中の原告の遅刻・早退及び欠勤に関する控除であると認められる(なお、令和2年4月欠勤分については本来的には同年5月分の月例給与から欠勤による過払賃金相当額が控除されることになるところ、被告は現在まで原告に対し当該過払金の返還を請求していない(書証略)。)。しかして、前提事実等によれば、原告は、同年3月10日から風邪症状を理由として被告を欠勤し、有給休暇がなくなった同月16日からは私傷病として欠勤していたのであるから、これらの原告の労務の不提供が被告の責めに帰すべき事由によるものと認める余地はなく、また、同月における原告の遅早退が被告の責めに帰すべき事由により生じたものであると認めるに足りる的確な証拠はない。
 以上によれば、令和2年4月分賃金に係る欠勤等控除については、被告の責めに帰すべき事由によるものとは認められず、原告においては上記の控除分に相当する労務を提供していない以上、原告は被告に対して上記の欠勤等控除相当額に係る賃金請求権を有しないものと認めるのが相当である。したがって、原告の上記主張は採用することができない。
  (2) 令和2年5月以降の賃金請求権(賞与請求権を含む。)の有無及び額について
   ア 原告は、被告に対し、令和2年5月以降の賃金等の支払を求めているところ、当該請求に係る訴えのうち、本判決確定日の翌日以降の賃金等の支払を求める部分については、地位確認を認容する判決確定後もなお賃金の支払がされない特段の事情があると認めるに足りる的確な証拠はなく、現時点において、上記の期間に係る賃金等をあらかじめ請求する必要性があるとは認められない。したがって、原告の賃金請求のうち上記の部分に係る訴え(遅延損害金請求に係る部分を含む。)は、訴えの利益を欠き、不適法であるから、却下されるべきである。
   イ 原告は、令和2年5月以降も本件労働契約②に係る労働者としての権利を有する地位を有するから同月分以降の賃金請求権を有する旨を主張する。しかしながら、前記3において認定し説示したとおり、本件労働契約②は、令和2年4月末日をもって終了しているから、原告の被告に対する同年5月以降の賃金請求権は発生しない。したがって、原告の上記主張は、その前提を欠くものであり、採用することができない。
  小括
 以上のとおりであるから、原告の主張はいずれも採用することができず、争点(1)、(2)及び(4)に関する原告のその余の主張も、被告に本件合理的配慮義務①ないし③及び本件安全配慮義務の懈怠による不法行為は成立せず、本件労働契約②が令和2年4月30日をもって合意退職により終了し、原告において被告に対する賃金請求権を有しないとした前記3ないし5の認定判断を左右するに足りるものとは認められない。
第4 結論
 よって、原告の本件請求に係る訴えのうち、本判決確定日の翌日以降の賃金及びこれに対する遅延損害金の支払を求める部分はこれを却下し、その余の請求については理由がないから、これをいずれも棄却することとして、主文のとおり判決する。

兼松アドバンスド・マテリアルズ事件・東京地判令和 4年 9月21日・労経速2514-26

歓迎会での言動による内定取消し → 有効

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 イ 本件会食時の言動について

 (ア) 本件会食時の言動のうち、原告が一次会において被告従業員の肩に手を乗せて、それを支えに立ち上がる動作をしたこと等については、証人B作成の陳述書(書証略)において、「甲野太郎さんなりのコミュニケーションの取り方と思い、特段注意することなく」会話を続けていた旨の記載があることからすると、上記行為が客観的にみて社会人としての礼節を欠くものであったとか、他人を不快にさせ、職場の秩序を乱す態様のものであったとまでは評価できないから、これをもって本件内定取消しの客観的合理的理由に当たるということはできない。
 なお、本件備忘録(書証略)には、原告が一次会において当たり前のように他の社員に酒を作らせていた旨の記載があり、証人E作成の陳述書(書証略)にはかかる態度をもって横柄に感じた旨の記載があるが、本件会食が原告の歓迎会の趣旨で開かれたものであることからすると、自ら酒を用意する等の行動に出なかったことをもって礼節を欠いていたとはいえないから、この点についても本件内定取消しの客観的合理的理由には当たらないというべきである。
 (イ) また、原告が前々職の退職理由として、「自分としては会社の許可を得て大きな買い物をしたつもりであったが、問題になった際に、常務に全ての責任を押し付けられた。それによって自ら会社を辞める結果となった」と述べた行為は、上記発言内容を前提としても、原告に非違行為があったために前々職を退職したのかは客観的に明らかでなく、また、原告が採用面接時に述べた「祖母の介護のため」という理由が直ちに虚偽であったということもできない(原告の前々職の退職理由を明らかにする客観的な証拠は存在せず、祖母の介護という事情がなかったことの裏付けとなる証拠もない。)。そうすると、上記発言をもって、原告が社内ルールやコンプライアンスを遵守する姿勢を欠いていたことの証左とすることはできず、また、原告が虚偽の退職理由を申告していたと評価することもできないから、同発言が本件内定取消しの客観的合理的理由に当たるということはできない。
 (ウ) 前記(ア)及び(イ)以外の原告の言動のうち、
①EやFを呼び捨てにしたこと(二次会)、
②被告への入社理由について、ついでに受けただけである、たまたま採用までのスピードが早かったため、入社することにした旨の発言をしたこと(二次会。前記のとおり、同旨の発言を本件会食前にもしている。)、
③Eに対して、「やくざ」、「反社会的な人間に見えるな」と述べたこと(二次会から三次会への移動中)
については、いずれも、被告従業員(上司や先輩に当たる。)に対して礼を失する行為であり、特に上記③の「やくざ」、「反社会的な人間」との表現は侮辱的なものであって、同僚に対してする発言として著しく不穏当で不適切であるというべきである。原告がかかる発言をしたことは、それが飲酒の上でなされたものだとしても、従業員同士の協調に反し、職場の秩序を乱す悪質な言動であるということができる。
 また、
①原告が「自分が10億円の買い物をしたいと言った場合、許可してくれますよね」などと述べ、Fが社内のルール等を守ることが重要であると説明したことに対して、「10億じゃなくても1億ならOKですかね」、「とにかく自分はでかいことをやるということしか考えていないんです」などと述べたこと(二次会)、
②上記発言を問題視したFらが社内ルールを守ることの必要性等を説明したのに対し、原告が、会社の方針が自分の考えと異なる場合、自分のやり方を通すのは当然であるという趣旨の発言をし、Fらが被告の方針を無視してまでも自分のやり方を貫き通すつもりかと質問したことに対しても「当たり前じゃないですか」と述べたこと(三次会)は、
いずれも、原告において、被告の会社としての方針に従わない旨の態度を表明するものである。そして、前記のとおり、被告従業員のFらが、かかる言動をたしなめるような発言をしていたにもかかわらず、原告が態度を改めることなく、上記のような発言を繰り返したことを踏まえると、それが飲酒の上での出来事であったとしても、原告の言動は、会社の方針(社内ルール、コンプライアンスを含む。)を遵守して業務を行うという、被告従業員に求められる基本的な姿勢を欠くものであったということができる。
 (エ) そして、社内ルールやコンプライアンスを遵守する姿勢は、被告の従業員である以上、当然に必要な資質であるといえることに加え、本件支店は18名で構成される小規模な事業所であり、業務の正常な遂行のために従業員同士の協調性が求められること、特に営業職においては、社内外と円滑なコミュニケーションを図る協調性が重要かつ最低限必要な能力として求められる上、取引先との関係性を円滑にするために月に数回の会食の場に参加することがあることから、会食の場での社会人としての最低限のコミュニケーション能力、礼節が求められること、被告においては、上記資質等を原告が備えているものとの判断の下、本件採用内定をしたことがそれぞれ認められ(証拠略。なお、原告もかかる資質が必要なことについて一般論としては認めている。)、これらからすると、原告の前記言動は、これらの基本的な資質を原告が欠いていたことを示すものであって、かつ、被告はかかる資質の欠如を本件採用内定時には知り得なかったといえるから、これらの理由に基づいて本件採用内定を取り消すことは、原告がB支店長及びEに対して架電して謝罪したことを踏まえても、解約権留保の趣旨、目的に照らして客観的に合理的と認められ、社会通念上相当として是認することができるというべきである。
  (4) 原告は、B支店長に電話で謝罪した際、B支店長から「いいよ、いいよ、待ってるから」と言われた旨主張し、同旨の供述をする。しかしながら、証人Bはこれを否定する供述をする上、前記認定事実のとおり、被告においては、本件会食直後から、本件採用内定を見直すことについて協議がなされ、週明けの平成30年9月13日には関係者から事実関係を聴取し、これを踏まえて同月14日には本件内定取消しをしているのであって、かかる経緯に照らせば、B支店長が本件会食の翌日に原告から電話を受けた際、原告に入社を歓迎するかのような発言をするのは不自然であるから、原告の上記供述は信用できない。
    原告は、原告の言動がいずれもアルコールの影響下においてなされたものであり、その点を考慮すべきであった旨主張する。
 この点、原告が、飲酒の影響で気が大きくなり、本件内定取消しの理由となった言動に及んだこと自体は否定できない。しかしながら、原告が採用内定を受けた営業職においては、会食の場においてもコミュニケーション能力や礼節が求められることは前記のとおりであるところ、飲み会の場において前記のような言動に及んだこと自体問題というべきであるし、すでに認定説示したとおり、これらが飲酒下での言動であったことをもって前記判断は左右されない(なお、原告の酒量を客観的に明らかにする証拠はないものの、証人B、証人E、証人Fはいずれも原告が会話できる状態にあり、一見して酩酊している状態ではなかった旨供述する上、原告は二次会の会場から三次会の会場まで歩いて移動していることにも照らせば、原告が酩酊状態にあったとか、泥酔していたと認めることはできない。)。
 なお、原告は、被告従業員や二次会会場の店員から酒を勧められて断れなかったとも述べるが、原告本人供述を前提としても、酒を無理強いされたとか、強引に飲まされたという状況にあったとは認められず、本件会食の経緯につき、本件内定取消しにおいて考慮すべき事情があったとは認められない。
    また、原告は、弁明の機会の付与がなかった等の理由から、本件内定取消しにおいて手続的瑕疵がある旨主張する。
 しかしながら、原告は、前記のとおり、本件会食の翌日、B支店長に架電し、昨日(本件会食)のことを記憶していない旨の発言をしている(なお、原告本人尋問においても、本件会食での出来事について、二次会の途中から記憶がない旨供述している。)。被告においては、かかる発言を受けて、原告に対してこれ以上事実確認の場を設ける必要がないと判断したものであり(人証略)、かかる判断が不当であるということはできない。また、前記のとおりの本件内定取消しの理由となった原告の言動の評価に照らせば、原告にそれ以上の弁解の機会を与えることなく本件内定取消しをしたことをもって、本件内定取消しが解約権留保の趣旨、目的に反するものであったとか、客観的合理的理由を欠くものであったということはできず、また、手続的に適正でなく、社会通念上の相当性を欠くと評価することもできないというべきである。
 なお、原告は、本件内定取消しの理由を被告の総務担当の従業員に問い合わせても無視された旨主張するが、原告の主張する事情は本件内定取消し後の事情である上、被告は原告に対し、平成30年9月14日に「採用内定取消しのご通知」(書証略)をもって本件内定取消しの理由について通知し、同月28日にはさらに詳細な理由を記載した「回答書」(書証略)を交付していることを踏まえると、原告の主張するような経緯があったとしても、本件内定取消しにおいて、その効力を失わせるような手続的瑕疵があったということはできない。
 3 まとめ
 以上のとおりであるから、本件内定取消しは有効であり、原告の主位的請求はいずれも理由がない。
 なお、原告の予備的請求は、本件内定取消しが客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると是認できず、違法であることを前提とするものであるが、前記のとおり、本件内定取消しは有効であるから、同請求にも理由がない。

2023年7月28日金曜日

伊藤忠商事ほか1社事件・東京地判R4.12.26・労経速2513-3

退職届提出後・退職日前の会社データ持出しによる懲戒解雇 有効

退職金全額不支給も有効

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2 争点〔1〕(本件データファイル等に営業秘密が含まれるか)について

本件データファイル等が、営業秘密、すなわち「秘密として管理されている生産方法、販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって、公然と知られていないもの」に当たるか、本件詳細主張ファイル群を中心に以下検討する。

(1)有用性及び非公知性について

ア 本件デスクトップファイル群のうち、本件詳細主張ファイル群は、連番2178記載のファイルを除き、別紙5「本件詳細主張ファイル一覧」の「内容」欄記載の特徴があるところ、これらにつきXは具体的な反論をしていないことからすれば、上記各ファイルについては、

〔1〕飼料・穀物トレードに関する取引先との契約内容に関する情報、

〔2〕投資検討案件の検討段階又は投資決定案件の社内決定プロセスに関する情報、

〔3〕現在交渉継続中の案件に関する情報、

〔4〕Y会社の特定重要商品の内容及び規模に関する情報、

〔5〕食糧部門領域全商品に関するトレードノウハウ及びリスク管理ノウハウに関する情報又は

〔6〕Y会社の保有株式に関する情報

等を含むものであって、いずれも、事業活動にとって有用な情報であり、不特定の者が公然と知り得る状態になかった情報であったと認めることができる。もっとも、本件デスクトップファイル群のうち、本件詳細主張ファイル群以外のものについては、有用性及び非公知性があったと認めるに足りる証拠はない

イ Xは、本件デスクトップフォルダ内のデータの大部分が、2015年度から2018年度までの間に作成保存されたものであり、転職先企業にとって重要な情報でないことを理由に有用性がないと主張するが、前記アで説示した本件詳細主張ファイル群の特徴からすれば、仮に、作成時期が上記Xの主張する時期であったとしても、本件アップロード行為時点で有用性が失われているということはできない。また、有用性が認められるためには、客観的に企業の事業活動にとって有用であれば足り、Xの転職先の企業における利用可能性は問題にならないと解するべきであり、Xの上記主張は採用することができない。

(2)秘密管理性について

ア 営業秘密につき、秘密管理性が、有用性及び非公知性とは別に要件とされる趣旨は、事業者が営業秘密として管理しようとする対象(以下「対象情報」という。)が明確化されることによって、当該対象情報に接した者が事後に不測の嫌疑を受けることを防止し、従業員等の予見可能性、ひいては経済活動の安定性を確保することにあると解される。そうすると、秘密管理性要件が満たされるためには、対象情報に対する事業者の秘密管理意思が、具体的状況に応じた経済合理的な秘密管理措置によって、従業員に明確に示され、結果として、従業員が当該秘密管理意思を容易に認識できる必要があるものと解される

イ Y会社においては、Y社内システム及びBoxに保存された情報にアクセスする場合、ユーザーID及びパスワードによる認証が必要とされており、社外からのアクセスが制限されているほか、Box内の各フォルダについては、さらに、所属部署ごとのアクセス権限が設定されるという、物理的ないし論理的な秘密管理措置がとられている。また、Y会社では、社内ルールにより、従業員が、業務情報を業務目的以外で利用することを禁止し、電子化情報を保管保存する場合には会社が一元管理するシステムを利用すべきこと、個別にクラウドサービスを導入する場合には、リモートワイプ(遠隔消去)が可能な仕組み等を利用すべきこと、機密保持違反に対しては厳正に対処する等が定められ、規範的な秘密管理措置もとられているほか、社内体制や従業員教育面での対処もされており、Y会社の従業員は、Y社内システム及びBoxに保存された情報の少なくとも一部が、秘密として管理されていることを認識すること自体は可能であったということができる。

ウ(ア)もっとも、営業秘密は、不正競争防止法において、刑罰法規の構成要件の一部をなすものであって、事業者の秘密管理意思の対象は、従業員にとって明確でなければならない。このような観点からは、秘密管理措置として十分なものであるといえるためには、対象情報が、営業秘密ではない情報(以下「一般情報」という。)から合理的に区分されている必要があるというべきである。

(イ)これを本件について見るに、本件データファイル等は、ファイル数が合計3326個に及ぶものであるにもかかわらず、有用性及び非公知性があると認められる本件詳細主張ファイル群のファイル数は136個に留まり、Xが本件デスクトップフォルダに保存していた情報のうち、大部分は一般情報であって、その中に、それと比較して相当に少量の有用性及び非公知性がある対象情報が含まれる状況にあったと認めることができる。そして、デスクトップ領域のみならず、Y社内システム及びBoxの中で、有用性及び非公知性がある情報を一般情報と区別して保存すべき規範は存在しなかったことからすると、上記Xによる情報の保存方法が、他の従業員のものと比して特異なものではなかったことが推認される。

そうすると、Y社内システム及びBox内に保存されている情報に含まれている対象情報は、量的に大部分を占める一般情報に、いわば埋もれてしまっている状態で保存されているのが常態であり、Y会社の従業員において、個々の対象情報が秘密であって、一般情報とは異なる取扱いをすべきであると容易に認識することはできなかったというべきである。したがって、前記Y会社のとっていた秘密管理措置では、対象情報が一般情報から合理的に区分されているということはできないから、本件データファイル等については、秘密管理性を認めることはできない。

(ウ)なお、Yらは、従業員が、フォルダ内に営業秘密は一切ないとの認識を持つことの方が不自然であり、営業秘密が含まれていることをフォルダ単位で認識することは容易であると主張する。しかし、本件デスクトップフォルダの内容を除けば、Y社内システム及びBoxの個々のフォルダの内容を明らかにする的確な証拠はないから、前記Y社内システム及びBox内に保存されている情報全体と同様に、各フォルダの内容も大部分が一般情報であって、その中に、それと比して相当に少量の対象情報が含まれる状態であったことが推認される。そうすると、そのようなフォルダの全体が対象情報であったとして扱うのは相当ではなく、Yらの上記主張は採用することができない

(3)小括

 以上によれば、本件詳細主張ファイル群は営業秘密には当たらず、本件データファイル等の中で、他に営業秘密に当たり得る情報があると認めるに足りる証拠はない。したがって、本件データファイル等に営業秘密が含まれると認めることはできない。

3 争点〔2〕(本件アップロード行為が不正競争防止法(同法21条3号ロ)違反に当たるか)について

 前記2で説示したとおり、本件データファイル等は営業秘密を含むものではないから、その余の点について判断するまでもなく、本件アップロード行為が同法21条3号ロに違反する行為に当たるということはできない。

4 争点〔3〕(本件懲戒解雇に客観的合理的な理由があり社会通念上相当な場合に当たるか)

(1)客観的合理的理由の有無について

 本件懲戒解雇に係る客観的合理的理由として、Yらの主張する各懲戒事由があったといえるか、検討する。

ア 法令違反について

 前記3で説示したとおり、本件アップロード行為は、不正競争防止法違反行為には当たらず、「職務に関し、法令に違反する」(Y会社就業規則28条1号)行為であったということはできない。

イ 機密保持違反について

(ア)本件アップロード行為は、Y会社を退職し、他社へ転職する直前の時期に、有用性及び非公知性があって、機密情報に当たる情報をも含む、Y社内システムの仮想デスクトップ上領域に保存されていた合計3325個、容量合計2.4GBのファイルを内包したフォルダ及びBoxに保存されていたExcelファイルを、社外のクラウドストレージの自己のアカウント領域にアップロードして、Y会社の管理が及ばない領域に移転させたというものである。Xは、これは後任者であるq4後任者への引継ぎのためにしたものであると主張するが、対象となった本件データファイル等の量のほか、その中に含まれる本件詳細主張ファイル群の内容からして、本件データファイル等の大部分は引継ぎには必要ない情報であったと推認される上に、Xが、以前の転職先からY会社に持ち込んでいた情報についても、同様にGoogle DriveのXのアカウント領域にアップロードを試みていることからすれば、本件アップロード行為が引継業務の目的でされたものではなかったことは明らかであるというべきである。この点に関するXの主張は採用することができない。

 そして、本件アップロード行為につき、他に正当な目的の存在をうかがわせる事情がないことからすれば、本件データファイル等がXの転職先であるノルデン社において価値のある情報であったとまではいえないことを踏まえても、本件アップロード行為は、X自身又はY会社以外の第三者のために退職後に利用することを目的としたものであったことを合理的に推認することができる

 したがって、本件アップロード行為は、Y会社就業規則28条6号において禁止される、職務上知り得たY会社及び取引関係先の機密情報を「不正に目的外に利用する」行為(同号イ)及び会社の文書、帳簿(電子データ等を含む。)等を「不正に目的外に利用する」行為(同号ロ)に該当する。

(イ)他方、本件アップロード行為から本件データファイル等が削除されるまでの経緯からすれば、本件アップロード行為後に本件データファイル等がXの支配領域から出たことを認めることはできず、本件アップロード行為は、Y会社就業規則28条6号ハの定める「漏洩」行為には当たらないというべきである

(ウ)Xは、Y会社の「情報管理徹底の件」と題する通達の定めからすれば、引継業務について所属長であるq3課長から承諾を得たことにより、機密情報の社外への持ち出しについても承認を得ていたことになると主張する。しかし、「情報管理徹底の件」における機密情報の持ち出しの際の承認についての定めは、当該持ち出しに「業務上の理由」がある場合についてのものであって、業務上の理由がない本件アップロード行為には当てはまらない。

 またXは、Y会社の社内規程や通達相互の間で、社内情報の持ち運び・持ち出しに関する規定内容が整合しておらず、体系的に整理された社内ルールの下で情報管理がされていたとはいえない旨主張する。しかし、社内情報の持ち運び又は持ち出しに関する社内ルールは、いずれも業務上の理由がある場合についての規定であり、仮に、持ち運び・持ち出しに関する規定内容に不整合があったとしても、本件アップロード行為が社内ルール上の禁止行為に当たることは明らかであって、本件アップロード行為が社内ルールに反することの妨げとはならない

 Xはその他るる主張するものの、前記(イ)で説示したとおり、本件アップロード行為が「漏洩」行為に当たらないとする点を除き、いずれも採用することができない。

ウ 公私混同について

 前記イで説示したとおり、本件アップロード行為は、X自身又はY会社以外の第三者のために退職後に利用することを目的として、Y社内システム及びBoxに保存されていた有用性及び非公知性のある情報を含む極めて大量の情報を、Y会社の管理が及ばない領域に移転する行為であり、他に何らかの正当な目的があることもうかがわれない。したがって、本件アップロード行為は、Y会社就業規則28条4号によって禁止される、「職務上の任務に背き、本人の利益を図」る行為(同号ニ)に該当する。

エ 情報管理に係る社内ルール違反

 Y会社及びその食料カンパニーの情報管理規程、ITセキュリティ管理規則、ITセキュリティ基準によれば、従業員が業務目的以外で業務情報を利用することを禁止し、電子化情報を保管保存する場合には会社が一元管理する会社標準のオンラインファイルストレージ基盤を利用すべきこととし、業務上の理由により個別にクラウドサービスを導入する場合には、IT企画部が指定するリモートワイプ(遠隔消去)が可能な仕組み等を利用すべきこととされていたのであるから、本件アップロード行為は、その内容及び目的からすれば、Y会社の上記社内ルールにも反するものであったということができる。

オ 小括

 以上からすれば、Xは、本件アップロード行為を行ったことにより、「服務規律に違反」し(Y会社就業規則66条1号)、「その他会社の諸規程又は諸規則に関する違反があった」(同条8号)という懲戒事由に該当したものと認めることができる。

(2)社会通念上の相当性について

ア 本件データファイル等ないし本件詳細主張ファイル群の重要性

 Y会社は総合商社であり、国内外の企業等に投資をし、商品を国内外の取引先から購入して顧客に販売することが基本的な業態であるところ、当該業態において、情報は付加価値の源泉というべき重要性を有するものと解される。他方、Y会社においては、その業態故に、機密性の高いものを含めて大量の情報を社内外の利害関係者間で適切に共有しつつ、迅速に処理することをも求められているから、営業秘密を個別に指定したり、特定のフォルダでの管理を義務付けたりすることは上記要請と相反するものであって、本件データファイル等について秘密管理性を認めることができるような、対象情報と一般情報を合理的に区分するような管理手法をとることは困難であったと推認される。

 そうすると、Y会社において、シンクライアントシステムが採用されたY社内システムを構築し、クラウドストレージであるBoxを採用することにより,電子データを従業員の端末に保存させないこととし、社内ルールにより情報の管理を定め、サイバーセキュリティの実行組織を設置するなどの措置は、不正競争防止法による保護を受けるには不十分であったとしても、上記情報の業態上の重要性を踏まえて機密情報を保護しつつ、情報処理上の必要性に対応するための合理的な措置であるということができる。したがって、本件データファイル等ないし本件詳細主張ファイル群が営業秘密に当たらないことをもって、これらがY会社にとって重要なものではなく、ひいては本件アップロード行為が悪質でなかったということはできない。

イ 本件アップロード行為の悪質性

 本件アップロード行為は、Y会社において重要であり、合理的な体制により管理されていた有用性及び非公知性のある機密情報を含む大量の情報を、X自身又はY会社以外の第三者のために退職後に利用することを目的として、Y会社の管理が及ばない領域に無差別に移転する行為であって、本件データファイル等の全部又は一部がXの転職先において有用な情報であったと認めることができないことを踏まえても、Y会社の社内秩序において看過することのできない、極めて悪質な行為といわざるを得ない。 

 なお、本件アップロード行為後に本件データファイル等がXの支配領域から出ていないことは、Y会社がサイバーセキュリティ対策を行って、システム監視やログ分析を行った結果、本件アップロード行為が早期に発覚した結果であるに過ぎないことが推認され、Xに特に有利に考慮すべき事情ということはできない。

ウ 情報流出に係る非違行為の特殊性

 従業員の非違行為により情報が事業者の管理が及ばない領域に一旦流出した場合には、その後に当該情報が悪用されるなどして事業者に金銭的な損害が生じたとしても、その立証が困難なことや、当該従業員が会社に生じた損害賠償を支払うだけの資力に欠けることもあり得るところであり、情報の社外流出に関わる非違行為に対し、損害賠償による事後的な救済は実効性に欠ける面がある。さらに、このような非違行為は、退職が決まった従業員において、特にこれを行う動機があることが多い一方で、このような従業員による非違行為に対しては、退職金の不支給・減額が予定される懲戒解雇以外の懲戒処分では十分な抑止力とならないから、事業者の利益を守り、社内秩序を維持する上では、退職が決まった従業員による情報の社外流出に関わる非違行為に対し、事業者に金銭的損害が生じていない場合であっても、比較的広く懲戒解雇をもって臨むことも許容されるというべきである。

エ 本件懲戒解雇の相当性

 前記アないしウに説示したとおり、本件データファイル等ないし本件詳細主張ファイル群がY会社にとって重要であり、本件アップロード行為が悪質であって、事後的な救済は実効性に欠けるという非違行為としての特殊性を前提とすれば、Y会社の利益を守り、社内秩序を維持する上では、Xが、Y会社を退職し、他社へ転職する直前の時期に行った本件アップロード行為に対し、Y会社に金銭的損害が生じたことを認めることができず、また、XにY会社での懲戒処分歴及び非違行為歴がないことを考慮しても、懲戒解雇処分をもって臨むのもやむを得ないというべきであり、本件懲戒解雇は社会通念上相当なものと認めることができ、権利濫用には当たらないというべきである。

 なお、Xは、Y会社において、過去に、従業員が、機密情報の入ったUSBメモリやパソコンを持ち出して紛失した事案に対し、懲戒処分を科した例がないことをもって、本件懲戒解雇は著しく公平性を欠く旨主張する。しかし、仮に、Y会社において過去にそのような取扱いがあったとしても、過失による紛失例と、大量の情報を、故意にY会社の管理が及ばない領域に移転したという本件アップロード行為を同列に扱うことはできず、Xの主張は採用することができない。

5 争点〔4〕(Y基金は退職金支払義務を負うか)について

(1)前記4で説示したとおり、Xによる職務上知り得たY会社及び取引先の機密情報並びに会社の文書、帳簿の不正な目的外使用、公私混同行為を理由とする本件懲戒解雇は有効であり、Y基金は、Y会社退職年金規程7条、Y基金規約52条3項2号、3号の定めにより、脱退一時金の給付の全部又は一部を行わないことができる。

(2)そして、その範囲については、本件アップロード行為の悪質性、退職が決まった従業員による非違行為を抑止する上での必要性(前記4(2)ウ)のほか、XのY会社での勤務年数が5年に満たないものであることからすれば、退職金に賃金の後払いとしての性質があることを踏まえても、XがY会社において就労した間の功労を覆滅するに足りる著しい背信行為をしたものとして、Xが2020年3月31日付けで自己都合退職した場合に一時金として支払われるべき額から既払金を控除した残額である210万2400円の全額について、不支給とするのもやむを得ないというべきである。

(3)したがって、脱退一時金の支払義務者であるY基金は、Xに対し、第2事件の請求に係る支払義務を負わない。

6 争点〔5〕(Y会社は変動給の支払義務を負うか)について

 XのY会社に対する2020年度の夏期変動給支給請求権が、本件懲戒解雇までに成立していたと認めることはできない。そして、前記4で説示したとおり、本件懲戒解雇は有効であるから、Y会社における扱いに従って、変動給は不支給となり、Y会社は、Xに対し、その支払義務を負わないというべきである。